能力主義、成果の平等主義、機会の平等主義から考える教育の無償化
能力主義という言葉がある。色々な意味で使われる言葉であるが、ここでは社会・経済的に成功した場合、それはその人の能力や努力によるものであるという考え方と整理しておこう。
もちろん、世の中には偶然や幸運、他者の協力・支援など、その人の能力や努力によらない要因により成功に至ったケースも多々存在する。しかし、総じて世の中全体を考えた場合、成功はその人の能力や努力の賜物と考える考え方である。
この能力主義を是と考えた場合、次に問題となるのは、努力できる環境や、能力獲得の機会が平等であるのかどうか、という点である。
しばしば、大学に入学できる学生というのは、親が高学歴、高収入であり、子供の能力や努力は、親の力で底上げされている、そこが問題だ、機会が平等ではないという批判がある。小さな頃から、有益な学習塾に通えたり、知識のある大人に指導を受けられる環境が、高学歴・高収入の両親から授けてもらえるのはずるいという考え方。
その発想の延長線上に、大学までの教育無償化の議論があるのであろう。高学歴・高収入の世帯だけが良い大学・良い教育機会を得られるのはおかし。やる気さえあれば、どのような家庭の子供でも大学までは受けられるのが良いと。
少なくとも、教育にお金がかかるという障壁をなくせば、機会の平等に近づくという考え方である。ところで、こうした教育の無償化という施策は、悪くはないが、別の問題を発生させる恐れもあると感じている。
教育も含め、サービスというものは、無償になると利用者が増…