能力主義がもたらす“お受験社会”の問題点とは? 今、考えるべきこと
久々に飯田橋にきた。ゴールデンウィークの最終日の日曜日。比較的空いているカフェで作業を着々と進める午前中。
気になることが一つ。やたらと黒一色にまとめた夫婦2人の正装姿。そして、これまた正装姿の小さな子供1人。こうした様子の親子が両手を超える数だけ駅周辺を彷徨っている。
何かあるのではないか。お受験なのか?しかし、お受験シーズンとは違うよな・・・お受験用の塾の入塾試験がある?とか・・・とにかく、その姿に違和感を感じてしまった。物々しいなとね。
世の中は、能力主義が浸透している。良い小学校、中学校、高校、大学、そして企業と全てコンプリートして初めて可能性が広がる、という考えに基づいているのであろうか。
しかし能力主義を文字通り受け取れば、能力さえあれば、別に良い学校に行かなくても成功できるのではないかとも思う。そもそも能力とは何に対する能力なのか?
受験勉強のための能力?この能力は確かに存在し、やたら受験に強い人は存在する。でも、最終的には社会に出た時にいかに稼げるか、いかに社会的に重要な仕事をこなせるかが重要であると考えると、必ずしもお受験から始まる良い学校は効果的な手段ではない?とも思われる。
確かに、良い学校であれば、良い友人、良い経験機会を獲得できるチャンスは相応にあるであろうが、それは学校を通じて直接的に伸ばす能力の付帯的な物でしかない。
人口減少、グローバル社会、テクノロジーの飛躍的進化など、目まぐるしく変革が進む今の世界において、従来から続…