犬の首輪が光る。飼い主にはやる犬のファッション?

最近、夜住宅がを歩いていると、何か遠くから光る物体が彷徨っていることが多い。少しづつ近づいてくると全貌が明らかになるたが、その多くが、犬の散歩である。 なぜ光っているのか?そうである。首輪が光っているのだ。最近、ペットの犬の首輪に光る首輪をつける人が多くなっているようだ。Amazonでも光る首輪が売られている模様。 七色に光る首輪や、点滅する首輪など、その光り方も多種多様。これが可愛いのか?某ウェブ記事でも光る犬の首輪を取り上げられていたが、どうやら飼い主にとって可愛いもののようである。 主観的な評価はさておき、第一義的には、犬の安全のためのようである。夜、散歩に連れて歩く。特に、夏場は暑くて日中の明るい時に散歩に連れて行けないから、日が落ちた夜に飼い主は犬を散歩に連れて行く。その際に暗い夜道では犬も危ないということで、光る首輪を装着させるのだそうだ。 なんとも。犬自身は傍迷惑なのではないか?そう思わざるを得ない。光る犬の首輪にお金を投じられる時点で、まだまだ日本は経済的にも大丈夫だと思ってしまう笑。だって、それにお金を投じられるのだから・・・ いずれにしても、そうした発想はなかった。光る首輪が売れるなんてね。

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半袖で活動すると肩の凝りが大幅緩和

日々、スーツやワイシャツを着て仕事をしていると、首筋から肩周りでかなり凝りを感じる。パソコンなどのデスクトップ作業が多いということもあり、職業病であろう。 そんな中、真夏に差し掛かるこの時期、半袖のワイシャツを着て、スーツは着ない、そんなスタイルになると、劇的に肩こりが解消する。 なんと、肩が軽いことか。腕が回る。肩が回る。この開放感はなんともいえないな。 であれば通年でこうしたスタイルで仕事したらいいじゃん、という発想にもなるが、なかなか日本社会はそうはいかないね。南国の熱い国であれば別であろうが。 少なくとも夏場は、重要な会議や商談の場以外は、ラフなシャツで過ごすと良い。スタートアップや先進的な会社であれば問題ないであろうことも、普通の会社ではそうは行かないのが悩ましいところ。 ちなみに、女性で言えば、ノースリブで過ごしたいという要望もあるのかしら。あれこそ肩周りがもっと楽なのではないかと思うのです。ただ、見た目の問題もあり、仕事場では暗黙に禁止されている職場もありそう。 海外の南国では、ノースリブ、ホットパンツ的なスタイルで、へそだし、それがデフォルトなところもあるのにね。仕事場でも・・・

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ネット界隈の勝利の方程式が崩れる要因

巷では、Twitterの利用制限の話題が持ちきりだ。Twitterなんて利用制限されても、それほど痛みもないし、問題でもない、と考える人が大半であろう。 ただ、そうもいっていられない人たちもいるはずである。例えば、ネット界隈でコンテンツを作り、多くの人へリーチするための情報拡散ツールとして、仕組みとして、Twitterを活用していた人たちは大きな痛手であろう。 今まで、様々なデジタルツールを組み合わせ、仕組みとして、コンテンツの収益化を図っていた人たちだ。その仕組み化により、日々、お金が稼げていたはず。しかし、一夜にして大きな影響が出た。その仕組み自体の有効性が、イーロンマスクの匙加減一つで崩れてしまったのだ。 こうした事案を考えると、ビジネスというか収益を上げる活動の脆さの一面を窺い知ることができる。特にデジタル分野では、既存のメジャーサービス、アプリを所与のものとして自分オリジナルの収益モデルを作ることが多い。その場合、大元のアプリが転けたら、自分も転けてしまうのである。 依存性が高いサービスとなってしまうことはやむを得ないことかもしれないが、その脆弱さなどはやはりどこかで意識しておいた方が良いであろう。 今回のTwitterのように、突然、予兆もなく変化が起きる。それを予想しての対応は難しい。いかに堅牢なビジネスを作るか、あまりそこにこだわってしまうと何もできなくなってしまうので、塩梅は重要であるが、こうしたこともあり得るのだということを、今回の事案から学び…

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東京大学の学生はもはや官公庁に就職しないという話を聞いた

最近の東京大学の学生の多くが、もはや中央省庁、いわゆる官公庁に就職しなくなってきていると聞く。最近本屋で売られている各種の新書など、ビジネス系の書籍ではそのような言及が各所に出てくる。 確かにそうした傾向があるのであろう。また大手民間企業への就職も減っているとか。本当か?まあ、確かにスタートアップへの参画といった選択肢が選択肢として出てくるのが普通になったのは否めない。 例え大手企業に就職したとしても、向こう数年先の処遇が一定以下しか見込めない大手企業を考えると、可能性としてはそれ以上もあり得るスタートアップを指向するという考え方もわからんでもない。 まだ20代前半という若い時期に、将来の可能性がほどほどであることがわかってしまう、規定されてしまう官公庁や大手企業を避けて、可能性があるスタートアップに賭けてみようという思考である。 もし運が良ければ、大金持ちにもなれるかもしれないし、そうでなくてもスキルや能力が高まれば、いろいろな企業を渡り歩ける可能性も出てくるのであるから。 そうはいっても、そうしたキラキラなキャリアを歩めるのはほんの一握り。大多数のメディアに出てこない人々は、普通以下の活動をすることになってしまうのではないか。ただそれが不幸かというとそうでもないのかもしれない。 適度な仕事上の負荷で、適度な生活が送れるのであれば、それはそれで幸せと考える向きもあろう。人は、上昇する可能性がある方が精神的には楽なのかもしれない。一定程度の処遇は得られるが、…

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美人はなにが違うのか、周囲に撒き散らすオーラ?

街中で、一目見て美人だとわかる瞬間がある。顔をまじまじと見たわけではない。むしろ顔や表情を見ずに、その雰囲気や佇まいなど、後ろ姿や横からの姿を当目で見ただけでも美人を感じる時がある。 その点では、面食いとかそういうものではない。また服装も違うであろう。美人と瞬間的に思う、感じることがあるが、一方で、服装は少し微妙だな・・・と思うこともしばしばあるから。 であるならば、美人であると瞬間的に判断されるその判断基準はなんだろうか? 明確にし評価できるような基準ではなく、アナログで、感覚的で、言葉にしにくい、曖昧であるが相応に正しそうな基準があるのであろう。 ロジカルではない、感性的なもの。まずは、オノマトペ的に言えば、シュッとしていることだろう、またしなやかさという言葉も合いそうだ。新鮮という言葉も合うかもしれない。 人によっては好みが分かれることもあろう。しかし、この言葉にあらわせないが、このようなモヤモヤ感は共有できるものなのではないか。 こうした感覚で判断される美人は、街中でもそれほど多く見かけるわけではないが、さりとて全くいないわけではない。そう考えると美人は希少動物ほど少なくはないが、いつもいるわけではない程度には存在しているのであろう。 会いに行けるアイドルというのが昔はやったが、その意味で、頑張れば街中で会いに行けるくらいには美人に遭遇できるような気もしている。

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セルフレジにキレる老人、という記事に思うこと

とあるWeb記事で、セルフレジにキレる老人に焦点を当てたものがあった。確かに、スーパーでは結構多くの場所で、もはやセルフレジが当たり前になっている。その中で、セルフレジの使い方がわからず、店員を呼び出してクレームをつけている老人をしばしば見かける。 老人のこうした対応は、問題としてWeb記事になるほど頻発していたということか。それはそれで感覚的にも理解できる。この問題を老人のリテラシーの問題として眺める事もできるが、この文章では、セルフレジの問題に焦点を当ててみたい。 ほぼ毎日のようにセルフレジを使う。スーパーでの買い物時、またコンビニでの買い物時などで使う。セルフレジを使っていて、素直に思うことは、システムとしてのインタフェースが良くないということ。 システム構築側の意見として、できる限り万人に使いやすいものを、と考えて設計開発しているのであると思う。しかし、この手のシステムのインタフェースは本当に行けていないものが多いと感じている。 シンプルに、使いやすいを想定して、簡単なインタフェースにしていると思うのであるが、直感的に重要な部分が抜け落ちていると感じる。また、一画面をシンプルにすることを重視するあまり、1回の支払いをするだけなのに、何回も画面遷移をしなくては行けないことになっている。これはいただけない。 究極には、ボタンを1回押すだけで決済完了となるのが一番良いはずなのに、ポイントがどうのこうの、支払い方法がどうのこうの・・・メニューが多い。またメニューの…

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