JR東海のスマートEXのUIがやはり気になる、改良して欲しい

しばしば使用する新幹線の乗車券等を購入するためのアプリである、スマートEX。これはICカードでスルッと改札を通過でき、またスマホから乗車券を購入できる非常に便利なアプリ、のはず。 しかし、使っているとどうしても気になるところがいくつか出てくる。このアプリしかり、モバイルスイカアプリといい、JRが開発するアプリは、どうもUIがいただけない気がしているのは私だけだろうか? デジタル系のスタートアップや、海外のビックテックが開発・提供しているアプリにあるような心地よさがない。細かな点の配慮というか、普通に使う人の立場に立ったらそうなるよね、という感覚が、JRのアプリにはないのだと思う。要所要所で。 例えば、アプリの状況表示が本当に不親切で仕方がない。今のアプリ設定で、使用する際に不足している点があれば、それをわかりやすく表示すべきである。例えば、アプリとスイカなどのICカードの紐付け設定が必要なのであるが、今どのカードで設定されているのか、されていないのか、それを一目でわかるようなインタフェースになっていない。だからこそ、いざ乗車しようと改札を抜ける際に、エラーになる人も多い。 事前に設定が不足しているならば、それをしっかりと表示する仕組みは簡単にできるのでは?使用する人の立場に立った、認知力が開発者に不足しているのではないか。 続いて、ユーザIDについて。これも登録した時に発番される10桁以上の数字の羅列。誰もそんな数字覚えられないよ。ニックネームなどに設定できる仕組…

続きを読む

美女のへそだしファッションが浸透しているのかしら

ここ最近の猛暑はかなりのものだ。外出するだけで参ってしまう。Tシャツや半ズボンなどであっても、その暑さは我慢できないほど。 世間の多くの人も同感であろう。その中、若い女性で、ヘソだしというのか、お腹、腰周りを露出するファッションで過ごす人が、しばしば散見されるようになった。 例えば、電車にとっていると、同じ車両に乗っている、複数の女性が、いわゆるヘソだしファッションとなっている。多分、お腹周りを露出されると、相応に涼しいのだろうが、老婆心ながらお腹冷やしてしまわないか、心配したりもする。 ファッションとしては、女性が腰回りを露出させるとどうしても、その曲線などが注目されてしまう。明らかに男性の腰回りとは、その形、シルエットが違うから。 ヘソだしファッションをしている女性たちも、明らかに、自身の腰回りの曲線美を意識しているものと思われます。若い時の自分の体の美しさをPRしたいという意識の現れなのだろうか。そうした心理になるのは、極度に足を露出させるホットパンツ姿と同じなのだろう。 日本では、普段の街中で、ヘソだしファッションでいる人は今まで多くなかった。ゼロではないものの。ここにきて、そうした若い女性が増えてきたこともあり、にわかに多くの人が見入ってしまう。へー、お腹周り露出させているんだ・・・とね。

続きを読む

本当に清々しい朝の時間を過ごすためには店も大事だが客層も大切

朝の時間の過ごし方が、その人の様々な活動の生産性を決める。しばしば同様の趣旨の話を聞くことがある。その発言や話の細かな趣旨は異なる部分もあるかも知れないが、多くねそれは正しいと感じている。 若い頃はいざ知らず、ある程度年齢を重ねると、朝の時間をいかに過ごすかでその日一日、さらには数日、数年の自身の活動パフォーマンスが変わってくると実感する。 そもそも年齢を重ねると、自然と朝早起きになる。早起きして確保できるようになった朝の時間を、どれだけ自分の生産的な活動に資する種まきの時間に使えるか。それが重要であることを身をもって実感する。 会社に出社する前の時間、朝から営業している喫茶店などで、1時間から2時間ほど、自分が定めた活動を日々積み重ねる。目的意識や狙いがあるからこそ、1回あたりは短時間だが、その積み重ねが大きな成果にもつながりうる。そうした人たちは、朝の行動の振る舞いというか、オーラも自ずと変わってくる。 朝の喫茶店で、席が隣り合わせになる人を見ても、同じような着意を持った人はすぐにわかる。まさにオーラだね。 一方で、同じくらい年齢を重ねている人であっても、そうした着意がなく、したがってオーラもない人たちも多い。見ていると少し寂しくなるくらいの人。ダラダラと時間をやり過ごす感じの人。いるんだな・・・ 朝の時間は、極力、それらの無意に時間を過ごす人とは居合わせたくない。それが本音である。やはり人間、同じ空間に、志というか、心の持ちようが違う、つまり自ずと行動…

続きを読む

人口100万人あたりの博士後期課程の人数が減っている国

日本は、低学歴化しているという主張のニュース記事を見た。その主張は、人口100万にあたりの博士後期課程の人数が、過去最大人数であった時から半分に減少しているということを受けてのものだ。 他国の状況を見てみると、米国、ドイツ、韓国など、軒並み博士後期課程の人数が増加している。この数十年の間に人数がここまで減少した国は日本のみということである。 考えてみると、当たり前のことだと思う。博士後期課程にまで進学すると、普通の状況では就職先がない。専攻分野にもよるであろうが、多くの分野では、働き口がなくなってしまうのであるから。学生としては避けなければいけない選択肢の一つと認識されている。 こうした状況を考えると、産業界が適正に博士後期課程の学生を評価していないという点が課題として上がってくる。それもあるだろう。また、博士後期課程の学生の能力を十分に使いこなすだけの高度な仕事が産業界の中に作れていない、という指摘もあるだろう。 しかし、産業界の肩を持つわけではないが、博士後期課程の学生の能力が期待ほど高くないという産業界の見立ても十分に考慮しなくてはいけないだろう。つまり、博士後後期課程の学生だろうがなかろうが、優秀な人材であれば採用したいが、その学歴対能力の兼ね合いから、博士後期課程の学生に疑問符がついている状況なのであろう。 日本の大学生の就職事情を考えると、その能力と学歴のバランスを考えた時に、修士課程卒業が最も高く企業にPRできるタイミングなのかもしれない。博士後期課…

続きを読む

熟練社員の正論により現役世代社員が攻撃される

若かりし頃の働きがそれほど芳しくなかったのか、それとも若い頃のパフォーマンスがイマイチだったのか、そんな人材が60歳直前頃になると、正論を持って現役世代の社員を攻撃する姿をよく見かける。 60歳目前の熟練社員は、すでに周囲から期待されておらず、ほとんど会社にいるだけ。何をしているかわからないが、日がな一日会社で過ごし、9時5時で勤務している。同じ組織にどの程度バリューを出して貢献しているか、結論は全く貢献していない。バリュー出していないとしか考えられない。 さらにその上で、建前の、また正論の文句だけを、現役社員にぶつけて、何か溜飲を下げようとしている。 思うに、若かりし頃にパッとしなかった人、若い頃から周囲とうまく仕事をして来れなかった人なんだろうな、歳をとり周囲から無視され続けて、この歳になって心理的におかしくなっているのだろうな、と周囲の全ての現役社員は思っていることだろう。 全てが人ごとで、正論を振り翳し、安全地帯から、文句だけをいう。自分自身は何一つ組織や周囲に貢献していないにもかかわらず。どうして人はこうなってしまうのか。 熟練社員の中でも、若い人とうまく役割分担し、また若い人から慕われ、年相応の貢献をしている社員は多い。でもこうしたどうも生産的ではなく、他者に文句だけ言って満足そうにしている人も一定数でてくる。 そうした人を更生しようとしても無駄である。全ての人がそう思っている。文句だけ言わせて聞き流している。本当は、そうした人材は不要なのである…

続きを読む

最近の若者に見られる、小さな損を回避する習性に思うこと

ある程度の年齢を重ねると、様々な人のちょっとした行動の意図、何気ない行動だけど、その狙いというか考えが透けるように見えることがしばしばある。 本当に瑣末な話ではあるが、交通費申請のやり方など。交通費申請は本当に手間がかかるし面倒であるが、今の新人や20代前半の若者は、一回交通費使用が発生すると、すかさず費用申請を行う。別に、都度申請しなくても、1ヶ月に1回のまとめての申請でも変わらない。交通費の支給は月に1回しかないのだから。 また、休暇を取得する場合でも、何かとまるまる1日の休暇とするのではなく、半日休暇にすることがある。つまり半日休暇にして、残業時間を確保したいという考え。丸丸一日休暇とすると残業時間を積み上げることは不可能であるが、午前の半日休暇にすれば、午後は残業時間が確保できる。 こうした行動の裏には、自分の懐のお金で少しでも損することが嫌、という心理と、少しでも得をしようとするする少しずるい考えが見え隠れする。 そこまで細々、セコセコしなくても、損はしないのだけれども。また必要となる手間を考えるとかなりコスパ、タイパが悪い行動のように思えるのだけど。 本当に今の若者はお金がないから、このような行動が身に染みてしまっているのだろうか?本当に若者はお金がないのだろうか。従来だって、若者はお金がないものであったが、そこまでシビアに細々、小銭を確保することに心血を注いではいなかった気もするが。今の若者が従来の若者以上に金銭的にシビアなのか? そうとも言え…

続きを読む

知識とは専門知識の構造理解の獲得という言葉に納得

しばしば、専門性があるということを、どれだけ専門知識を頭の中に叩き込んでおき、問われればすぐにでも回答できる力にあると考えている人がいる。 コンピュータがこれだけ発展し、インターネットを利用していろんな情報を取得できる時代においても、まだ上記のような発想で、専門性を理解している人が普通にいる。しかも、企業の相応のポジションにである。 今だに不思議である。知識の詳細な内容など、インターネットで調べたら良い。ただし、その知識の重要な考え方、他の事柄との関係性、位置付けなどは理解していないといけないが。 問題なのは、重箱の隅を突いたような知識が頭の中にないと、専門知識もないやつ、と評価してしまう人がいるということ。 そうではなく、膨大な知識について、その関係性や位置付けを把握して、知識を構造化しており、問われた質問に対して、自分なりの回答、状況に応じた回答ができる人が専門性があると思うのである。 そうした知識の体系化は、頭の中にあるものであり、ぱっと見でわかるものではない。専門性があるかなしかは、多くの場合、理解できる人でないと理解できない。専門知識がすぐ出てくるかどうかしか見ていない人は、それが理解できない人だ。 そんな人が、往々にして専門性を声高に唱える。今後は、専門性を有する人材が重要だと。そして間違った専門性のイメージを社内、世の中に喧伝する。なんとも、デマの拡大再生産である。 企業の人事部の人材育成方針を見ると、その企業が行けているかいけていないか…

続きを読む

へそだしファッション、若い美女ではなくいい年したおじさん

暑い暑い夏。普通に外出すると至る所に汗をかく。そもそも体温以上の気温を記録する地域もあるくらい、今年の夏は暑い。 そんな中、街ゆく人々は、できるだけ暑さを凌ぐために肌の露出の高い服装になりがち。中でも女性は、普段見せない肌を思いっきり露出する服装になる。若い女性であれば、ファッションとして、ホットパンツを履いて、素足をそのまま晒し、ノースリブ、さらには、ウエストもまるまる露出させることなどしばしば。 まあ、若いもののファッションとしてはよくみられる光景。若いからこそできるスタイルだよねと。振り返れば、過去、我々の世代の多くの人も同じだったかもとね。 その中で、この暑さへの辟易はおじさん世代も同じであろうと気づく。当たり前であるが。ただその対応に少しびっくり。40代か50代であろうおじさんも、Tシャツ、短パン姿で、かつへそだしファッションである人が稀にいる。街中に。 なんとも異様である。若い美女のへそだしファッションは社会的に許されるのに、おじさんのヘソ出しは許されないの?という問題もあろうが、単純に見ていてちょっと目を背け・・・ ビールっぱら丸出しなのであるが、それは流石にびっくりだ。暑くてたまらないという心情は理解できるものの、周囲の町ゆく多くの人は自分と同じ感想を持ったのではないか。いつの間にか目を背けて・・・ 逆に、暑いのはわかるが、それほどビールっぱらを露出して歩く姿を見られて、どう感じているのか、本人は。その心理がわからない。もはや他者の視線など気…

続きを読む

最低賃金が上がるということはどういうことなのだろうか

最低賃金が上がるかどうか、そういった話がもちきりである。賃金は上がったほうが労働者は嬉しい。しかし、社員の給与として支払える原資は限られている。 その会社で本当に役立っている人というのは、元々相応の給料をもらっている人たちであるが、その人たちの給料は据え置き、もしくは手当などを減らして、末端の最低賃金の労働者の給料を上げるということになる。 この点だけ見ると、なんだかな、と思ってしまう。労働に対する対価と考えると、付加価値の高い人の給料を上げるというのは理解できる。しかし、定型的な業務をしている人が最低賃金近くでの労働をしているわけであるが、その人たちの賃金だけが上がり、不定形で難しい仕事をしている人もしくは付加価値の高い仕事をしている人の賃金は逆に圧縮される。 これは逆行しているようにも見えてしまう断面がある。資金の分配という点でそれが本当に正しいことなのかと。 こう考えると、この日本は、付加価値の高い仕事をしている人をあまり評価しない社会なのかもしれないと思わざるを得ない。 例えば、外資の企業では経営者などは、かなり高い処遇を得ている。高度な経営を担い、また責任を追っているのであるから、相応の対価をもらうのは当たり前ということであろう。しかし、日本では経営責任という重要な責任を負っているにもかかわらず、世間との乖離が・・・などとして、破格に安い処遇しか得られていない。この辺り、発揮する付加価値と処遇との関係がかなり歪められているように思える。 なぜなのだ…

続きを読む