なんだろう、アカポスの人ほど、それほど貢献していないのに自分の成果として論文を出したがる
人間性が滲み出る。もともとの人となりは良い人だったはずなのだが、アカデミアで活動して数十年経つと、人は変わるものなのだと実感する。成果、その人の貢献、誰が見ても事務手続的な貢献しかないのに、ファーストオーサーをしれっと取る人がいる。なぜ?という疑問が湧く。
研究メンバーには、誰もが、この論文の貢献は誰がどれくらいなのか、一目瞭然である。しかし、それを無視してシレッと著者部分の記載を書き換える。なんなんだろう。羞恥心はないのだろうか。
そもそも、国際学会へのアプライ、原著論文への投稿、どちらもファーストオーサであることの妥当性を検証するものではない。論文の内容の検証であって、誰がファーストオーサーなのかは、自分たちの中で整理しておいてということなのかもしれないが。
いずれにしても、この世界に数十年いると良くも悪くも、どこがルーズなのか熟知するようになる。それを良いことに、結構ずるいことをするようになる。そうなるとろくな研究者にはならない。
自分の名前の方が論文が通りやすいとまでも言い出す始末。ほんとうか?と疑ってしまう発言も。もはや研究の中身よりも、定期的に論文執筆投稿、アクセオプト、この履歴を残すことしかたまにはない。研究の中味などはどうでも良い。そんな人材が増えているのかもなぁ。