意見の相違、ネット空間上での議論は不毛になりやすい
人間は議論を通じて納得し合う、理解し合うことが大切である。この考え方は、学校の教科書では必須の考え方であろうが、実際の世の中では、基本的には議論を通じて理解し合うことが完全にできるわけではないのは確かである。
議論したって、わかりあう事ができない人というのは普通にいる。今のネット空間での主義主張のやり取りを見ていても、わかりあうに至るとは到底思えないし、実際のところ意見の相違の溝が深まるのみ。
リアル空間での議論では、人と人の意見の相違の他に、社会的立場や組織的な力関係などが絡んでくることから、どちらかが譲歩し落とし所を探す形で意見の相違を解決することはしばしば見られる。
一方で、ネット空間での議論では、そうした社会的立場や組織的な力関係などが議論とは乖離しがちとなり、落とし所を探すというインセンティブが起きにくいように思える。
例えば、在宅勤務の是非について、人によって意見が分かれる。ネット上の議論では、在宅勤務を認めない会社については会社が良くないとか、働く人に優しくないとして、会社側が糾弾される。在宅勤務自体は手段であり、会社の状況やその人の状況に合わせてあり、なしを丁寧に決めていくべきであるが、そもそも論として在宅勤務を認めない会社が悪いという議論に陥りがち。
実際のリアルで会社の管理職と担当者の間で在宅勤務の是非について、対面で話し合えば、会社側と個人とのメリットデメリットを突き合わせて、ほどよい落とし所にはなしを着地させやすくなる。だって、そもそもろん…