メルカリと小説市場の意外な関係性
メルカリで回る本たち
最近、私は読んだ本を次々とメルカリで売り払っている。
本屋で新刊を見つけるとすぐに買い、一気に読み、そしてメルカリに出品。このサイクルはもはや習慣になりつつある。手元に残るのは全体の1割未満。つまり、「何度でも読みたい」と思う本だけが残る。
この事実に気づいた時、自分でも驚いた。「一度読んで手放す本がほとんど」ということに。さらに驚くのは、小説の類は販売から価値が急激に落ちることだ。新刊を発売直後に読んでも、メルカリに出すときにはすでに価格を数割引きしないと売れない。このスピード感には、出版業界の事情が絡んでいるのだろうか?
「Kindle Paperwhite」
紙の本をメルカリで手放しても、デジタルで新しい本を楽しめる。持ち運びも便利で読書の幅が広がる。
小説の価値の短命化
小説市場は、まるで雑誌のように「鮮度」が求められているのかもしれない。雑誌がかつて娯楽の王者だった時代、情報の旬は短かった。そして今、小説がその役割を担いつつあるように感じる。
雑誌は消費者の生活リズムに寄り添って情報を提供していたが、SNSや動画配信サービスが主流になった現在、そのニーズは小説に形を変えたのではないか。新刊小説も、消費者の生活に「一瞬の彩り」を提供する役割に移行している。結果として、次々と新作を生み出さなければいけない作家たち。これは「消費者側優位のエンタメ市場」の縮図そのものではないだろうか?
「ブックスタンド」
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