筑波方面の大学の研究者が、全ての日本の研究者の成果創出は、広く薄くあまねく研究資金を支援した方が、集中と選択により特定の研究者だけに資金を支援するよりも、多くの成果を残せるという研究結果を出しているらしい。
この研究結果は、日本の文部科学省の政策に対して、NOを突きつける結果であると多くの人は感じるであろう。
日本では、近年では、選択と集中として、社会にインパクトをもたらす研究を重点化すべく、研究資金支援を集中的に投じるようになった。具体的には、多くの研究者は殆ど研究費を与えられず、一部の目立つことを研究している研究者のみに資金が集まってくる仕組みを作り上げている。
これらは文部科学省の政策であり、これまでも多くの研究者から、批判もされてきたものである。ただ、民間企業のビジネスの考え方も取り入れ、選択と集中は必要との判断で続けられている。
さて、件の筑波方面の研究者の研究成果は、正しいのだろうか?正しいとすれば、日本の科学技術政策は間違った政策を何年も続けてきたことになる。失策となる。しかし、よくよく考えてみると、何を持って、研究結果が出ている、成果が出ているとするのかによって、話が変わるのではないかと考えられるのである。
例えば、単純に論文の数を指標に、より多くの論文を出すことを目的に掲げれば、広くあまねく研究者に少しでも研究費を配った方が成果が出るということにつながりやすくなるのは理解できる。
一方で、1つでも2つでも、世界を驚かせるような研究成果を出して、産業界に影響を与えるという意味では、選択と集中により、ビッグプロジェクトに大きな予算をつけるのが成功確率が高くなるとも考えられる。
そうなのだ。何を持って成果が多いのか、そのメジャーの設定の仕方で、方法論は変わってくる。成功確率も変わって来るのではないか。
そう考えると、件の研究結果は、一つの真実をついているかもしれないが、他方でそれを受け入れるかどうかは、考え方次第なのだ。現在の科学技術政策が失策であるかどうかは、そもそもの目標設定によって変わってくるのだ。
現状の科学技術政策は今後も大きくは変わらないのではないかと思われる。日本経済にとって役立つ、インパクトのある科学技術を生み出すためには、ビッグプロジェクトに集中的に投資する以外に、よりより政策はないとも考えられるから。
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