昨年、ハローキティ展なるものが、東京上野で開催されている記事を書いた。
このイベントで話題になったのが、諸外国からの転売ヤーの存在。展示会に併設される物販では、オリジナルのグッズが多数発売されているが、それらを大量に購入し、母国で転売する外国人が多数発生しているのだ。そのため、販売店数も一人30点までなど制限がつかられたり、入場制限がかかったり、チケット販売が一時停止されたりしたと聞く。
そんなハローキティ展に参加し、個人的に理解した。「キティは、白米であり、様々な食材とコラボすることで魅力的な食事を演出するそんな存在」であると。
年初めにハローキティ展に参加
このイベントに新年早々参戦してきた。1月2日の新年初めの時間枠での参加である。昨年、かなりの盛り上がりを見せたと聞くこのイベントに、長時間並んでなんとか入場というシナリオを勝手にイメージしていたが、かなりスムーズに入場することができた。
展示物は、少なすぎず多すぎず、過去のキティ関連グッズが所狭しと並ぶ中、単に展示物を見るだけではなく、参加している多様な属性の人々の観察も興味深い。日本人の他に、中国人、韓国人、欧米人など多様である。ただ性別という点では女性にかなりに偏った来場者である。男性は、どうみても同伴しているだけといった感じ。
さてこのイベントで考えた。なぜこれほどまでに特定の人々に、キティは愛されているのか。愛されているというより、固執されているのか。端から見ていて、このキャラクタになぜそこまで入れ上げるのかが理解出来ない。
転売ヤーが大量に発生するということは、そこに商業価値が生まれるということであるが、その商業価値のさらに源泉である人々を熱狂させる理由が今までも全く理解出来なかった。そんなこともあり、このイベントへの参加を通じて、何かヒントになる気づきはないか、そんな考えのもと参加したイベントである。
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キティはある意味で主体性は持たない
そもそもキティには、統一的な物語があるキャラクターではない。もちろん設定というものは存在するようであるが、人気アニメのワンピースやら、ハンターハンターやら何やらのように、物語としてのストーリや世界観が明確になっていないキャラクターであることが十二分に理解できた。
イベント会場の展示解説にもその記述があったので、私個人の独りよがりの理解ではないと思っている。その解説によれば、アニメや小説のキャラクター発の存在ではなく、グッズに紐ずくキャラクターとして登場し、ここまで浸透したという点で特徴的なのだそう。
そう考えてみると、キティはある意味で主体性は持たないのだろう。何か明確な世界観を持ち、それに関わるファンをその世界観に誘うのではなく、ファンの日常の生活の中に逆に入っていって、ファンの日常を色取る存在なのだと。
そう考えると、どこまでいってもリアルな世界観、ファンの現実的な世界に入り込むキャラクターという特徴があり、ゲームやアニメの世界観に人々を誘うキャラクターとは一線を画す。
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主体性は持たないが故に、価値の源泉はファン自身の過去の思い出や体験
この理解のもとに立つと、キティが様々なものやサービス、他のキャラクター、社会現象とコラボするのが得意であることの真意が理解できる。
通常のキャラクターであれば、自ら背負う世界観を持っており、それに相容れないコラボはNGとなるであろう。作者もそうであろうし、ファンの間でもそこに違和感を感じる。しかし、ことキティに関しては、その背景となる世界観がない。ないが故に自由に、現実路線でのコラボができるのだ。
コラボのための素材、ジグゾーパズルの1片のように、うまく様々なものとの連携をとるのが得意なのだろう。だからこそ、ご当地キティやギャル風キティなど、普通に考えたらやらないこともやってのけてしまう。
他方で、このキャラクターとしての立ち位置であるからこそ、つまり、自らのストーリをファンに提示するのではなく、ファンの日常の世界に入り込んでくるキャラクターであるからこそ、実はキティの魅力は、キティ自体にあるのではないと理解できる。
言い換えると、多くの人がキティに見出す魅力は、ファン自身の過去の思い出や、記憶、嬉しさや悲しさなどの体験なのだろう。キティというキャラクタは、ファンの生活の中に、当たり前の空気のように存在してきたもの。様々なグッズとして、ファンの日常を支えてきたキャラクター。だからこそ、キティに見出す魅力は、ファンの一人一人の過去の体験や思い出なのである。
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キティはいわば白米、日々自然に食卓に当然のように存在し、様々なおかずとコラボする
キティの魅力は強い。時代が変わったとしても、その魅力はファン自信が持っている思い出や体験なのであり、全否定されるような事象はなかなか起こり得ない。脈々とその魅力は生き続けるのである。でも、独立な魅力を持ちにくいという意味では脆弱なキャラクターなのかもしれないが…。
その意味で、上記で書いたが、キティというキャラクターは、白米のような存在なのだとこのイベントに参加して、結論づけた。
白米のように日々の食卓に当たり前のように存在するもの。それ自体も日本人としてとても美味しく食べたい食材であり、不可欠な存在。嫌いな人はほとんどいない。さらに言えば、それ単独ではなく、様々な食材によるおかずと組み合わさって、日々の食事や、特別な日の食事を彩る存在。どんな食材とも組み合わせて食べることができる存在。なるほど。
最後に、敢えてもう一度言おう。キティは、白米であり、様々な食材とコラボすることで魅力的な食事を演出するそんな存在である。
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