なじめない哲学書だけれども、おすすめしたい一冊「目的への抵抗 (新潮新書) 」國分功一郎

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「快い」とは何か?嗜好品という言葉をめぐり何を検討しているのか?冒頭から読み始めていると何を言っているのかしらとちんぷんかんぷんになる。ただ、精緻に「快い」ものとして、善いもの、美しいもの、崇高なるものなどを整理・分析していく様に、よくわからないながらも議論の爽快感が感じられる。

特に、前半は、國分氏の理論の説明が淡々となされるが、後半は東京大学の学生向けの講和という形で、前半部分の説明をわかりやすく解説した文章となっている。

國分功一郎氏の「目的への抵抗」 (新潮新書) という書籍を読んだ感想である。同書は、以前話題となった「暇と退屈の倫理学」をより深化させた論考であり、「あー、あの暇と退屈を書いた人ね」と認知している人も相応にいることであろう。

以下では、哲学素人の筆者が、素人なりに感じ入った点から読後の所感を紹介したい。

目的への抵抗 (新潮新書) 新書 – 2023/4/17
← 自由は目的に抵抗する。そこにこそ人間の自由がある。にもかかわらず我々は「目的」に縛られ、大切なものを見失いつつあるのではないか――

暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) 文庫 – 2021/12/23
← 答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。 著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう

哲学の書籍とはまったく意味をなさないものと思っていた


端的に申し上げると、私が國分功一郎氏の書籍に出会い、とりあえず読み終わるまでは、哲学書というものは意味のよくわからないことを延々と述べている、一般人にはあまり意味のないものと認識していた。

実際のところ、丁寧に言葉を使い分けて、解説、解釈している著者の努力はわかるのであるが、言いたいことが何なのか、よく理解できないのが哲学書にある多くのパターン。読み手の側の知識、理解力不足であることも十分に承知しているが、それでも意味わからないよね、と思わざるを得ない。

この國分功一郎氏の書籍「目的への抵抗」もそんなイメージを冒頭では感じてしまう。なぜ嗜好品というものを取り上げ、抽象的な整理をしようと躍起になるのか、その議論の先にどんなうれしいことがあるのか、まったく理解ができない…

ただ、途中まで読み進めていくと、この議論の出口としてある意味の分かりやすいヒントが得られた。そこから、がぜん、この嗜好品に対する、快いというものに対する哲学的議論の流れに興味を持ったのである。

それは、当著者の前著「暇と退屈の倫理学」の主張である。その主張は、浪費と消費の違い。浪費は人間に満足感を与えるものであるが、消費はどこまで行っても満足感を得られず、ものを消費し続けるものであるという結論。

それに関連して本書では、嗜好品、快いもののなかにも、単純にそれ自体が快いものと、何らかの目的や手段のために快いものとがあるという議論がなされており、今の時代、多くの一般人は、産業化を通じて、他者に設定された目的・手段によって快いものが設定されつつある…そこに目的のない快いものが侵食されていると…。

本書は、現代社会の人々が気づかないうちに、非人間的に誘導されているということへの警告のような内容なのかもしれないと感じたのである。まったくもってちんぷんかんであった本書から、理解違いがあるかもしれないが、個人として意味が見いだせそうな主張を読み取れたことは自信になった。

そうはいっても、過去の哲学の偉人の古典を読んでみたいとは思わない


本書を通じて、哲学ってちょっと面白いかも、と感じる部分は大いにあった。こうした難しいけど、読後に、おもしろさを感じる哲学というフィールドに関心を持ちつつある。そうはいっても、過去の哲学の偉人の書籍はたくさんあるが、それらを読んで見たいとは思わない。というのも、やはり古典は意味が分からないと挫折しそうだから。

同書では、國分功一郎氏は過去の哲学の偉人の成果を色々と引っ張ってきて、その主張をかみ砕き、必要な部分は下敷きにして、同氏独自の哲学的主張を提示していく。その話の持って生き方、解釈に魅力を感じるのである。

これは哲学という分野に関心がありつつも、最も関心があるのは、國分功一郎氏の興味や考え方に個人的にひかれるという点がもっとも重要なのだろう。哲学書を乱読するよりも、國分功一郎氏の書籍を読み進めるというのに、個人的には意味がありそうに感じる。

おそらく、1年後にもう一度読んで見たいと思う書籍


國分功一郎氏の「目的への抵抗」も、「暇と退屈の倫理学」も、あらためて1年後に読んで見たいと思う書籍であろう。

なぜ1年後か、それは読んで自分なりに理解した考えや手触り感については、1年くらい自分の私生活の中で醸成されると、何か新しい感覚が自分の中にできているような気がするからである。その感覚を踏まえたうえで、もう一度、同書を読んで見ると、新たな発見があるかもしれないと期待するからである。

この手の、複数回、しかも期間をおいて読んで見たいと思う書籍は、個人的には珍しい。多くの書籍は一度読んでしまえば、もう二度と読みたいとは思わない。それよりも新しい内容の書籍を読む方がよっぽど得られるものがありそうと感じるから。

しかし同署はそれとは異質であると感じている。ぜひ、皆さまも一度、同書を手に取って読んで見て、同じ感覚を得ていただけると、うれしく思う。



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