仕事や受験にも影響…「文章が読めない人」の問題を深掘りする

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新井紀子氏による新刊『シン読解力: 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』は、小中高校生の学習を対象に、学習言語としての文章を身につけることの重要性を指摘する書籍である。

しかし、これは決して子供だけの問題ではない。近年、ネット系の著名人がしばしば言及する『文章の読めない人たち』と同じ問題を扱っていると認識すべきだ。本記事では、同書を読了した上での所感や考察をまとめる。

『シン読解力: 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』(新井紀子 著)
→ 本記事の中心となる書籍。読解力の重要性とその影響について詳しく解説。

新入社員にも同じ傾向がみられる「文章の理解がおかしい人々」


本書では、平易な日本語の文章であっても正しく理解できない人々がいることが指摘されている。

例えば、受験の文章問題において、本来ならば簡単な言葉で問われているはずなのに、意図を誤解し、真逆の解釈をしてしまうことがある。このように問題文の理解が間違っていれば、正解を導き出すこともできない。また、授業においても、教科書の内容を正しく理解できず、矛盾だらけの知識の集合体として捉えてしまうことで、学習意欲の低下につながる。

この現象は子供だけに見られるものではない。社会人になってからも、文章の理解が著しくおかしい人は存在する。

例えば、会社の基本的なルールや規定、マニュアルは平易な日本語で記載されているにもかかわらず、人によって解釈が異なり、場合によっては真逆の理解をしてしまうことがある。これではマニュアルやルールの意味が失われ、実務に混乱を招く。しっかりとマニュアルを読んで対応しているはずなのに、結果としてマニュアル通りにならないケースが多発するのも、この問題と無関係ではない。

こうした読解力の欠如が社会全体の効率を低下させており、無意味な言い争いや意見対立の原因にもなっている。学校教育のみならず、企業内でも不必要な事後対応や誤解の修正といった二度手間が発生し、無駄な労力が費やされている。

振り返ると、小中高で確かに違和感があったテスト問題の文章記述


振り返ると、小中高校のテスト問題の文章記述に違和感を覚えたことがあった。

例えば、自分なりにロジカルに導き出した答えが、正解とは異なっていた経験がある。その理由は、隠れた前提や言葉の定義が暗黙のうちに共通認識とされており、それが明示されていなかったからではないかと考えられる。

もし、これらの前提が明示されていたならば、問題の意図を容易に理解できたはずである。しかし、社会経験や学習経験を通じて自然と理解することが当然とされていたため、当時は納得できなかった。

これまでの学校教育では、ここで問題とされているような読解力は、個人個人で身に着けるべきものとして、暗黙の裡にスルーされてきた部分だったのではないか。その怠惰なスタンスが、現在になり大きな問題点として表出してきているのだと思う。

当時の自分が、この問題点の理解ができていれば、かなり受験で異なった結果になっていたのではないかと感じられる…

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子 著)
→ 読解力不足の現状をデータで分析し、AIとの関係を考察する一冊。

新しい格付けとしてのRSTというメジャー


本書では、新たな学力指標としてRST(読解力テスト)の存在が示されており、学力と高い相関を持つことが明らかにされている。現在、進学や就職の際には偏差値が主要な指標とされているが、今後はRSTが新たな基準となり、人を評価する指標として浸透する可能性がある。

RSTには、従来の学校偏差値では測れなかった能力を見極める可能性がある。ポータブルな能力としてRSTを活用することで、より実用的な学力の評価が可能になるかもしれない。
また、別の視点から見れば、RSTが普及することで、それを運営する団体が大きなビジネスチャンスを得ることも考えられる。例えば、RSTのスコアを向上させるための塾やセミナー、さらにはRSTに基づく資格試験など、受験産業と同様の経済圏が形成される可能性もある。

ただし、人を格付けする指標としての導入には慎重な議論が必要だ。

特に教育関係者の中には、自らの活動を否定されると感じ、強く反発する人もいるだろう。一方で、教育関係以外の分野では、比較的受け入れられる余地があるかもしれない。しかし、こうした変化を事実として受け入れ、可視化し、丁寧に課題を解決していかなければ、何も変わらないというのもまた事実である。

『論理トレーニング101題』(野矢茂樹 著) 
→ 文章の意味を正確に理解し、論理的に考える力を鍛える問題集。

皆が一定以上のシン読解力がある世界の暮らしやすさ


現代では、文字をベースにしたコミュニケーションが主流となっている。

電話や対面での会話が減少し、メールやメッセージのやり取りが増えているため、正しい読解力が求められる。しかし、読解力の不足により、ミスコミュニケーションが頻発し、社会の効率が低下している。

もし、すべての人が一定以上の読解力を備え、正しく文章を読み書きできるようになれば、無駄な誤解が減り、より効率的な社会が実現するだろう。

読解力は単なる学力の問題ではなく、人間の存在そのものに関わる高度な課題である。本書が提起する問題は、決して他人事ではなく、私たち自身が向き合うべき課題なのかもしれない。



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