とうとう新聞配送が縮小し始める、朝日新聞が富山で配送停止

新聞とは、紙媒体で毎朝情報を届けるメディアである、購買契約を結んでいる多くの家庭に向けて、毎日紙媒体を届けるもの。考えてみれば、この仕組みは本当に多くの労力を必要とする仕組みである。購買者数が一定以上にならないとペイしない仕組みである。 近年、新聞の購買数が減っている。定期購読をする人も減っている。減少傾向が続くことからそろそろ限界に近づいているのではないかと思っていたが、とうとう配送停止の地域が出てきたと報じられている。 全国紙である朝日新聞である。あの新聞社が富山県での配送を停止したのだ。これははじまりに過ぎないのかもしれない。この朝日新聞の決断が、他の県、もしくは他社の配送の継続可否に大きいな影響を与えるであろう。つまり、今後、次々と配送停止をするところが出てくると思われる。 右に倣えだろう。そもそもどの新聞社も配送コストが大きいな重荷になっているのかもしれない。紙媒体を届けるには相応のコストがかる。それが重いのだろう。ただ、それをやめたとしてどのように収益を上げるのか、代替えとなるビジネスが未成熟なぶん、この古い昔ながらの紙媒体の新聞配送に頼らざるを得ないという実情もあろう。 久しく紙媒体の新聞は読んでいない。多くの人が同じなのではないだろうか。わざわざ定期購読するにはもやは高いし、ニーズもないし。必要な情報はネットで引っ張って来れるという環境もある。 新聞社の今後はどのようになるのか。少なくとも今までと同じビジネスでは続かないだろう。どのようなビジネスに…

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小説は有名な著者の新刊であってもすぐに価値が毀損する、専門書はそれよりも長く価値が維持される

メルカリで読んだ本を片っ端から売り払っている。新刊を本屋で見つけてはすぐに読み、そして大概の本は、メルカリで即販売してしまう。手元に残す書籍は全体の1割もない。 手元に残しておきたいと思う本、つまり二度目、三度目と繰り返し読みたい本がこれしかないというのも驚きであるが、販売してしまった本についても驚きがある。 小説の類の本は、すぐに価値が減っていくということだ。新刊が出て即読んでも、すぐに数割の根贔屓をしないと売れない。それだけ出版数が多いということなのか。それからそこまで内容面で鮮度があると言うことか。 これは著名な著者だからこそなのだろうか。必ずしもそうではない気がする。新刊小説はある意味雑誌と同じ感覚になりつつある。雑誌はすでに多くの人が買わなくなってしまったが、その次にあるのが小説なのかもしれない。 小説家も次々と新しい作品を作らないと商売あがったりなのかもしれない。コモディティなのかなあ。あれはあれで作るのに大変な思いをしていると思うのに、販売してすぐに価値が減るって少し悲しい・・・と思いつつも、メルカリで中古品として安く買うと言う視点からすると嬉しかったり。 販売側というよりも、消費者側が優位な商品なのだろう。まあ、消費者の使用できる時間を多くの商品、小説に限らない多様なエンタテイメント作品が奪い合っている現状では、そうならざるを得ないのかもしれない。 月5万円の壁を越える メルカリ中国輸入転売のはじめかた 単行本(ソフトカバー) – …

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質と量の問題は、どの分野でも原則なのだろうと思い知る一冊

天才はいない。天才になる習慣があるだけだ。ダイヤモンド社、菅付氏の著書を読んだ。この本で主張しているのはただ一つ、天才と言われるような人の能力も、地道かつ膨大な量のインプットによるのだというもの。 そしてそのインプットは、一朝一夕にできるものではなく、日々の生活の中で摂取する食事と同じく、良質の情報を読書や映像視聴などを通じて、実に愚直に摂取すること、膨大な量の摂取により実現されるものだという主張である。 おそらくそれは正しいのであろう。そして量が質に転化することは、ロジックというよりも体感として、それを程度の差こそあれ体験した人には理解できるものなのであろう。感覚的に。 しかし多くの人は、この本の言葉は信じられない、ちょっと感覚的に感じられないものなのだろうなと思う。結局は、信じるしかないのかもしれない。それを自分自身で追体験できるまで実践しなければ、感覚的に理解はできない。パラドクスのようなものなのだろう。 特に若いうちには、その情報接収の量は圧倒的に少ない。それは生きてきた年数が少ないのだから仕方がない。だからこそ、若い人は信じられない。信じられないから実践できない。ただし中には、その情報摂取がクセになるほど好きな人、辞められないほど楽しい人、というのも存在する。そんな人は、自然とこの天才的な感覚や思考が当たり前のようにできるようになる。 なるほど。これは芸術、アートの文脈で述べられているが、全ての分野の全ての仕事で愛通じる真理なのだろうなと思う。 イ…

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書店で本を買い、メルカリで本を売る、新たな読書スタイルを実現した話

本の読み方は人それぞれだ。そもそも目指すべきものも違う。 私自身は、色々な事が知りたいという思いのもと、とにかく乱読する。別に試験対策をするわけではないから、書かれている内容は一度読んで楽しんだ後は忘れても構わないと思っている。まあ、実際のところ面白い内容であれば、覚えようとしなくても、その重要なポイントは頭に残っているのだけどね。 そのほかに、上記でも書いたけど、試験勉強のためにじっくり読んで、内容を記憶して、状況によっては演習問題も解くなど、そんな本の読み方もある。教科書として読むということかな。それ以外にも、物語を楽しむ物もある。小説はまさにこの読みたとなり、楽しいエンタテイメントとしての時間の過ごし方が読書となる。 さて、自分の話に戻ろう。興味に従って乱読するタイプであるので、本屋さんには毎週欠かさず訪れる。そして、表紙やキーワードを見て、その時々で気になるものがあれば、どんどんと買い物かごに入れていく。値段なんて見ない。値段を気にしていては興味の幅が広がらないから。なお、実のところ懐事情は本当は気になってしょうがないのであるが、そこは気にしなくても良い読書スタイルを確立したので、気にしなくて良いのである。 本屋さんで最新作の書棚の前には、多くの人が群がっている。最新作を手に取り、内容を吟味している人が多い。まあ、買う前の立ち読みといったところだろう。私個人としては、こうした買う前にじっくり始めの部分を読んで買うかどうか迷っている人が、邪魔でしょうがない。性格が…

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大学生の頃の自分の目は節穴だった。教科書を掘り起こし改めて読んで見ると、良いこと書いてある

毎年のゴールデンウィークは実家に帰省する。世の中的にも、帰省ラッシュというものがあるので、私以外にも実家に帰る人が多いはず。自分だけではないよね。 実家に帰省して、家族から歓迎される人もいれば、別に普段と変わりなくお使いや雑用、作業などを言い渡される人もいるであろう。私の場合、後者のタイプです。久々に帰ったのに、なぜか普通に暮らしていた当時と同じく、諸々の日常の作業のお鉢が回ってくる…毎年、家事をしに実家に帰っていることになるね… 両親から指示された作業の中で一つ面白いことがあった。部屋の片隅に積み上げられていた段ボールを片付けるように指示されたのだ。たまに帰省したのに部屋の片ずけを指示されるのもなんだなと思ったが、大学時代の諸々をそのまま放置した自分も良くないと思い返し、段ボールを片付けてみたのである。 そこで発見したのが、大学時代の授業の教科書。友人にも聞いてみたけど、同じように、大学時代の教科書の類を実家に取っている人は結構いた。確かに、馬鹿にならないお金をかけて買った書籍だから捨てにくいよね。ただ、ほとんどの人が枕代わりにしか使わないものになっている。読み返す人っているのかしら。そう思っていた。 私の場合、数学の教科書や物理の教科書がわんさかと出てきた。久々に見てみるかとその時は何気なく思ってしまった。ページをくりながら中身をみると、当時はあまり理解できなかった教科書が、とても面白く見えてくる。あれほど、大学生の時は、「意味わからん。難しすぎ…」とぼやいていた思…

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ネットフリックスの作品 三体を見たが、なんとも言葉にできない感想

三体とは、小説にもなっている作品。今ネットフリックスで映像化もされている。不思議な世界観のドラマだ。科学技術やSFを軸としたドラマ、さらに非常に複雑な世界観のあるドラマでもある。 個人的には科学技術に関わる概念やキーワードなどがたくさん出てくるので非常に興味を持ってみることができた。三体問題やナノファイバー、光速、VR、素粒子など思いつくだけでもいろんな技術に関わる話が出てくる。 科学技術、しかも近未来に実現するであろう技術を想像させるドラマなどは、その映像効果なども相まって、非常にワクワクするものが多い。だからこそ、お気に入りの作品として映画などは好んで見る傾向がある。 ただし、この三体については、そのストーリや話の展開が本当に理解しにくい。理解が追い付いていないのが実態である。どのような話の運びでこの場面に至ったのか、追いきれないシーン多数。小説ならば丁寧に文章化されているのか?さらに、最後の場面も、これで終わり?という急な展開。 おそらくこの終わり方であれば、続きの第二シーズンはあるであろうが、それにしても納得感がない。3Tとは何?400年後に備えるって何をすることなの?人類は監視されているとのことであるが、壁面者とは何をする人なの?全くもって意味がわからない。 この三体を試聴した友人の中には、全くもって理解できなくて、次は見ないと宣言している人もちらほらいる。この展開は受け入れられない人は受け入れられないのだろうな。 私自身もかろうじて、科学技術的な…

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バツゲーム化する管理職の話が広がりつつある?

先日、とある新書で、管理職がバツゲーム化しているとの主張の書籍を読んだ。記載されていることは、現実と照らして、ごく妥当であり、また共感を呼ぶものであろうと思う。 ただこの話がどの程度世の中に広がっていくか、社会的なある種のムーブメントになるのか、判断がつかないでいた。重要な話しではあるものの、管理職は世の中の極々一部の人でしかない。であるが故に、広く多くの人が関心を寄せるのか判断がつきかねていたからだ。 そうするうちに、各種のWebのニュース番組などで取り上げられるようになっていることを知った。著者のインタビューもあった。これは世の中としても、関心を持ち、拡散していくのか?と期待される現象である。 今や人手不足で、新卒社員、若手社員の優遇ばかりが目立つ。逆に、今の会社組織を支える人材は放置され気味であることに懸念を持っていた。若者ばかり優遇していると、足元すくわれるよと。 若者が育つ前に、組織自体がなくなるよと。将来も大切であるが、今を支える人がいないと、将来もないからね。 罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場の修正法(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル) Kindle版

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日本企業の管理職が無理ゲーであると喝破する新書、納得感ありあり

今まで、なぜこのトピックを扱った書籍がなかったのか不思議でならない。日本の企業に勤める会社員で、管理職を務めたことがある人であれば、必ず思っていた、考えていたことである。 そもそも日本の企業の管理職の仕事は、なんでもかんでも、企業の不都合な部分を押し付けられる雑用と化しているということ。さらに、経営層の一翼を担う?という説明により、給与は増えず、むしろ減っている。それに加えて、労働組合員ということで労働者としての保護も受けられない。 こうした姿は、今の若手人材も見ていてわかっているのであろう。近年の若者が管理職になりたがらない、なると損であるということがわかっているからである。 罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場の修正法 小林祐児 インターナショナル新書 罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場の修正法 (インターナショナル新書) 上記の新書では、今まで日本の企業の管理職が言いたくても言えなかった実情、皆がわかりきっていた問題なのに、放置して来た問題をデータを用いてロジカルに説明仕切っている。こうした新書が出てきたところを見ると、もうこの問題を棚上げしていくことができなくなった日本社会、企業の様子も伺える。 無理ゲーな管理職では誰もやらないしね。今の世の中、そんな無理ゲーをするくらいなら別の道を見つけられる、転職や副業などで代替えできる選択肢がある世界だから。 本気で日本の企業の経営層、人事部はこの問題を考えていかないと、そうそう通常の企業活動の…

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確かに文字は読まれない、動画と音声が好まれるのがマクロな流れだ

インターネットの上には、さまざまな情報が溢れている。文字情報のコンテンツも爆発的に増えている。しかしどうやら多くの人は、その文字情報をあまり見ていないのではないか。 身近な人たちを見渡してみても、それはおかしいんじゃないの?文字情報は基本でしょ、という人もいるだろうが、日本全体を見渡してみるとそうでもないような節がある。 文字を読むことには、相応の労力がかかる。ただ文字を眺めていても意味は頭の中に入ってこないのだから。一方で、動画は非常にシンプル。見ているだけでわかったつもりになれる。本当のところの意味や趣旨が分かるかどうかは別として、わかったつもりになれるメディアと言えるであろう。 さらに、そこに音声があって、自動で文字を話してもらえ得ると、一旦は頭の中に音声となった文字情報が流れ込んでくるので、その情報を摂取したつもりになる。ただ多くの場合、その情報は右から左へと通過するだけであるが。 例えば、オーディオブックなるものが流行っている。巷にある様々な書籍を音声で要約したものが聞けると受けているようである。確かに、自動車を運転していたり、電車に乗っていたりした時に、両手が塞がっている際には、音声で情報を摂取できることは重宝する。 しかし往々にして、そうして音声で聞き流した情報は、本当のところ摂取できる情報は限定的となるのではないか。聞いた後、しばらく経ってから、何を聞いていたのか、重要な部分はどこであったのか、思い出せないことがある。つまり、知識獲得という点では効…

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町の本屋の生き残り方、売れ筋のアニメ一色になっていく

街の本屋の衰退は激しいようである。それは田舎の本屋さんだけの話ではなく、東京都内の、しかも山手線の主要駅前の書店でも同じようである。人の乗り降りが多く、また学生街でもあるこの町で、本屋さんは今までと同じように生き残っていけると思われがちであるが、必ずしもそうではないらしい。 様々な分野の書籍を取り揃え、知を凝縮したような店づくりはもはや成り立たない。知の結晶として、様々な書籍を取り揃えるといったことに消費者は見向きもしないのだろうか。 今の書店は、とにかく売れ筋のみを書棚に置いていくようである。件の本屋さんも学生街でもある立地から、学生にウケの良い、アニメに主軸を置いた店に変わっていく。数年前までは、知の拠点のように様々な分野の書籍を取り揃えていたのとは隔世の感がある。 アニメが主となる本屋に誰が立ち寄るのか。アニメ好きの学生などが集まるのみである。確かに、お金は落としてくれるだろうが、それでいいのだろうか。 ビジネスとしては合理的な選択なのかもしれない。ただ、書籍を流通させるという意味では、なんとなく違和感がある。否定しているのではなく、少し寂しく思うのである。そうはいっても、従来通りの本屋さんでは維持ができない世の中になったのである。これも一つ受け入れていくべき変化なのかもしれない。 キーホルダー ワンピース 麦わらのドクロ 盃兄弟 ルフィ エース サボ バッグチャーム キャラクター 人気アニメ グッズ 飾り ギフト コレクション

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図書館とどのように付き合うべきか

多くの自治体で図書館を持ち、運営している。私立、区立、の図書館などがそれだ。住民に文化的な暮らしのためのサービスとして提供されているものなのだろう。 もちろんその運営費には、税金が使われている。そう考えると、それら図書館を使わないのはもったいない。その地域に暮らし、税金を納めている限りにおいては、使う権利があるのだから。 ただ、多くの人は税金を支払い、運営費を負担しているにもかかわらず、図書館を利用していない。利用するにも図書館に行く、本を借りる、返すなど、一定の手間が発生するので、面倒と言えば面倒なのだから。 図書館が設置されている場所も問題だ。多くの住民にとって、利用しにくい場所に立地しているケースも多い。時間をかけてまで利用するかといえばそうでないのかも知れない。 逆によく利用している人々を観察してみると、時間に余裕がある人が多い気がする。手間がかかり利用方法であっても、時間があるのだから苦にはならない。また日がな一日、図書館でぶらぶらしている人も多い。寝ている人も多い。お金のかからない居場所として重宝している人もいるようだ。 こう考えると、公立の図書館は、一部の人たちへの偏った利益提供サービスになっているようにも思える。不公平であると。とすると、利用する人から適切な利用料を取って運営すべきという意見が必ず出てくるであろう。そのような流れになると、基本的に、図書館の運営はままならなくなる。 だって、今利用している人はお金を払ってまで使用したい人たちでは…

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年末年始の本屋では、以前ほど、注目の書籍が販売されていないようにも思える

年末年始の休暇期間というと、時間をかためてて得られることから、本屋さんでまとめて書籍を買い込んで、がっつり読書の時間に充てることが多い。 年末年始に先立ち本屋では、これでもかというほど、新しい新刊や、注目の著者による書籍などが紹介されて、多くの人が本を購入する時期でもあると認識している。 しかし、本年の年末の本屋の様子はどうかというと、本の並びがイマイチである。なんなんだろう。あまり新しい新刊や、時流に乗ったおすすめの書籍が並んでいない・・・ 本が売れなくなっている時代の傾向か?それとも、著者たちが新刊を作りにくくなっているのか?それとも本屋さんがそこまで対応できていないのか?いずれにしても、なかなか魅力的な本を見つけられないでいる。 Amazonで本を注文したら良いという意見もあろう。しかし長年、リアルの本屋での偶然の出会いを介して本を選んできた身からすると、本屋で買い込んで読むことにある種の喜びを感じているのでやめられない。ネットでの注文ではどうしても、既存の枠内で本を選んでしまうから。 休み期間中は、少なくとも1日1冊、それ以上を読んでがっつり読んだ感を得ることがこの年末年始にできるであろうか。テレビなどはそれほど面白くなくなり、試聴時間の代わりに、読書に当てる時間はたくさん確保できる環境にある。読みたいと思う本に出会えるであろうか。 マスコミ就活 出版社 内定獲得! 2024年採用 [出版業界内定までの近道はここに。](TAC出版) …

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最近思うのであるが、従来からの著名な作者による小説があまり販売されていない?逆に、新人の著作が多い気がするのは自分…

本屋さんに毎週訪問し、定期観測をするのがルーチンである。新しい新刊本を本屋で見つけたときに、楽しみに、気長に待っていたお気に入りの作家の書籍を見つけたときには、とても嬉しくなる。 しかし、ここ最近、昔からの著者による出版が減っている気もしないではない。いつもであれば、気がつけば出版していて、本屋で出会って即購入するという流れであった。 今は、なかなか出版物を見つけられない。その著者の棚にいってみても、新刊本を出しているようには見受けられない。どうしたのだろう?仕事が行き詰まっているのだろうか?おやすみしているのだろうか? 複数の著者でそうなので、おやすみとかそんなことではない気もしているが。 一方、名前を聞いたことがない新人のような方々の出版物は本当に多い。聞いたことがないな、でも本屋で大々的に売り出されているので、期待の新人なのだろうと思う。ただ、毎回毎回異なる著者の本が大きく紹介されていて、昔ながらのお気に入りの著者の書籍がないことに少し残念な気持ちになる。 出版業界に何か起きているのであろうか?有名な著者が本を執筆・出版することを躊躇させる何かが起きているのか?もしくは昔からの著者には何か不利な何かが起きているのか?今出版社は新人を発掘し、出版することの方に力を入れているのか? そろそろお気に入りの作家の本が読みたいと思う今日この頃である。

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哲学に関する書籍がたくさんでていて、目についた物を読んでいるが、わかる部分とわからない部分が・・・

今の世の中、哲学に注目が集まっているのはなぜだろう?そのワードの響きがかっこいいということなのだろうか。閉塞感のある今の時代に、哲学のような思考の先に時代の出口を求めている人が多いのであろうか。 個人的にも、しばしば書店で哲学の本を手に取り、購入している。定期的に様々な著者の哲学解説の本を読んで見ているが、全てを理解するには当然ながら至らない。5冊、10冊と同じようなトピックでの異なる著者の文章を読むことで、少しづつであるが理解を深めている最中である。 ただ、やはり何を言っているかわからないところが多い。そのため全て理解する必要はないと割り切って、10読んで1だけでも、なるほど、と思うところがあれば良いというスタンスで、読書量を増やそうと考えている。 例えば、構造主義という言葉は、その説明を読んでも今まで全く意味不明、色々著名な過去の偉人の発言を読んできたが、納得感がない、そんなワードであった。しかし、10冊以上様々な物を読んで、やっとイメージが掴めてきた。現代哲学の最前線、仲正昌樹を読んでである。 いずれにしても、とにかくたくさん読んで、少しでも気づきが得られれば良いという形で量を追う戦略で哲学に関する本を消費しようと思っている。ある程度全体感が掴めたら、ここのテーマで詳細な理解をするための読書に移行したいと思っているが、まだまだ先になりそうだ。

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コンビニから本がなくなる日

ニュースによると、出版取次大手の日本出版販売が、コンビニへの雑誌や書籍を配送する業務を終了するという。2025年二月までに。 このニュースを聞くと、多くの人はそうだろうな、と感じるであろう。一昔前までは、本を購入するにも書店にまで足を運ばなくてはいけなかった。ちょっとした暇つぶし、時間潰しのための材料として、雑誌や書籍を買いたいというニーズはあった。 そのニーズをコンビニで雑誌販売などえ捕まえていたのであるが。今や、ちょっとした時間潰しはスマートフォンがあれば十分。コンビニで本を買う必要はない。 逆に、そもそもコンビニに本を置く棚を用意するのが辛くなっていることであろう。もっと売れ筋商品もあるので、棚を他の商品に当てたいというのが本音ではないか。 現状ではコンビニで立ち読みしている人すらいあまり見ないのではないか。昔は、長時間雑誌を立ち読みしている人もいた。週刊雑誌や漫画などを。そんな姿ももはや絶滅危惧種のようになっている。 とうとう、リアル書籍の販売経路も大きく縮小なのだろうな。元々電子書籍や電子コンテンツに書籍は押されている。もちろんリアル書籍が完全になくなることはないだろうが、昔のような流通経路で維持できるほどではない。

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集英社オンラインの新書の紹介、がんの消滅 天才石が挑む光免疫療法

ふと、集英社オンラインの新書の紹介ページに目が留まった。ノーベル賞級の発見とされる光免疫療法の誕生の経緯をまとめた新書とのこと。 がん細胞を物理的に消滅させる研究の話である。場所は米国NHIの研究者のお話。日本人の研究者たちの話である。日本の研究者が米国の研究機関でノーベル賞級と言われるほどの成果を挙げた話である。 こうした話を聞くと、日本人の研究者の凄さや、研究にかける熱意、姿の素晴らしさに唸ってしまう。まだまだ研究で面白い成果、素晴らしい成果をあげられるチャンスがある。 ただし、それが日本の研究機関での出来事でないのが残念であるが、その簡易な紹介ページを見ているだけも、心躍る感覚がある。 当初は別目的で多なっていた実験から、何かおかしいという事象に遭遇、それをよくよく見ていくと世紀の大発見につながる。科学技術の大発見にしばしば見られるセレンディピティとでもいう状況。 研究者の端くれ?としてはとてもロマンのある、また研究者冥利に尽きるお話である。是非ともこの新書を手に取って読んでみたいものだ。まだ紹介文を読んだだけでこれほどまで興奮するのだから、本書を見たらかなり心躍るであろう。 今週末は書店にゴーだな。

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アマゾンの自費出版サービスKindleダイレクトパブリッシングKDPの制限が始まる、粗製濫造の対策

アマゾンの自費出版サービスはご存知だろうか?自作した書籍などを電子的に出版することができる仕組みであり、どこかの業として運営している出版社を介して出版するのではなく、ごくごく個人で出版するためのサービス。 アマゾンを介してそれらを販売することが容易である。電子書籍となるが。出あるが故に費用も抑えて販売できるのが特徴だ。今まで自費出版を紙の書籍で行おうとすると相応の費用負担が必要であった。 コストをほとんどかけることなく出版でき、より多くの人にリーチできるがゆえに、一冊でも売れれば儲け物、そんな感じの出版サービスとなっているのかもしれない。 昨今の画像生成AIの影響もあり、コンテンツ自身もほとんどコストをかけずに作成できる世の中になった。機械でとにかく大量のアニメ画像、写真画像を作成でき、それらを束ねてしまえば、それっぽい写真集、イラスト集が出来上がってしまう。 そしてそれらをほとんどコストをかけずに、アマゾンで販売するように出品する。ほとんどコストをかけていないので、ほんの少しでも売れればペイしてしまう商品なのだろう。 逆にコストをかけないがゆえに、その品質は微妙なものが多くなっているとも思われる。アマゾンのアカウントで、画像、写真集、AIなどキーワードを入れて検索してみると、こうして作成されたと思われる作品がたくさん出品されているのがわかる。 確かに、イチ消費者からすると、何やら質の悪そうなでもパッと煌びやかな写真集が並んでいるのはちょっと違和感というか、…

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やけに閲覧数が多いなぁ。。。メルカリで書籍「創造性はどこからやってくるか」を出品する

郡司ペギオ幸夫 氏の新書である「創造性はどこからやってくるか」という本をメルカリで出品した。すると、一気に700超の閲覧数がでた・・・どれだけ関心があるんだ・・・と驚き。 どうやら、ほかに出品している人が少ない模様。ただ、この書籍、内容面であまり一般的なものではないのであるが、多くの人が関心があるということなのかしら。 書籍は、そのタイトルの通り、創造性に関して論じた本である。著者は元々は理工系の学者であり、芸術家ではない。ただ、ひょんなことから現代芸術作品を制作して展示会に出品する過程が描かれている。 理工系の学者らしく、創造性、芸術などを生み出すためのロジックを自分なりに構成し、それに沿って芸術作品を生み出す。その過程でなかなか常人には理解できない表現もあるが、全体を読み通すとなんとなく理解できる芸術創出のための方法論が書かれている。 全ての芸術がその方法論で生み出されるわけではないであろうが、一つの型として考えることは出来るのかもしれない。想像性は外部からやってくる、その外部との繋がりを生み出すために、ある種の矛盾の共立関係を生み出す・・・著者ならではの方法論が展開される。 本書を読み通してみると、やはり理工系の先生なのだなというある種の納得感と、少し狂気の沙汰のようなものが感じられ、珍しくこの手の書籍の中でも楽しめて読了することができた。 確かに難しくて途中で挫折しそうになる部分もあったが、総じて新たな視点や気づきが得られたという点を考えると、個人的…

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専門性とは何か、ただ一つに定義するのはやめた方が良いのかもしれない

専門性とはなんなのか?しばしば問題となるキーワードである。特に、リサーチ、コンサルティングなどという、ちょっと特殊な業種では特にそうだ。門外漢からすれば、それ自体、専門性の塊のような職種なのでは?と思ってしまうところであるが、それがそうでもないとのこと。 一般に、リサーチ、コンサルティングの顧客は、いつもいつも同じ分野、テーマだけで仕事を彼らにお願いするわけではない。時代によって、タイミングによって、本当に多様なテーマ、また新たに生まれた最新テーマなどを彼らにお願いする。 となると、それを引き受ける、リサーチ、コンサルタントの人たちは、逆に一般に言われる専門性を培う暇すらないのではないかと推察される。だって、毎回テーマが異なる仕事をしていると、積み上げるものも積み上げられないじゃんと。 もちろん、程度の差はある。医療の仕事と通信の仕事を同じ括りにするのは流石に辛い。医療だったら医療、通信だったら通信、この程度の分野の固定はあっても良いだろう。しかし、顧客からお願いされるオーダーはその粒度ではなく、もう一段、もう二段ほどブレイクダウンされた詳細分野の仕事なのだろう。 それらがランダムに次々と仕事として降りかかる。それらを全て受け続け、数年過ごしても実のところ、いわゆるアカデミックの世界のような専門性は身につかないであろう。だって、毎回テーマがやはり離れているから。 ではそうした職種の人たちの専門性とはなんなのだろうか?従来の一般的な専門性というイメージを一度忘れた上…

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ビジネスマンが論文を読むという習慣

論文には様々な情報が詰まっている。多くの場合、何言っているんだ?というテーマばかりであるが、数十本に1本の割合で、なかなか面白そうなものに出会うことができる。 これは、本屋さんに売っている本と同じような感覚なのかもしれない。 本屋さんでも数多くの本が毎週毎週入れ替わって、読み手を探している。それらの多くは、個人にとっては興味の対象外のものが大半。本屋さんをぐるりと一周して1冊や2冊の面白そうな本が見つかれば御の字である。 本屋に売っている書籍と同様に、論文も全てのものを、頭からお尻まで読む必要はない。関心がある事項をパッと見つけて、そこを集中的に読んでみる。自分の狙いと外れるものであれば、それで読み進めることはなく、次の論文に移る。もし興味や狙いと合致すれば、頭からしっかり読む。 同じだね。ただ、近年ではネット上で無料で様々な論文を読むことができる。もちろん有料のものもあるが、多くの場合、無料で公開されている。読むネタには困らないくらいの分量である。また最新の論文もまずはネット上に公開するという流れになっている。 最新のものを広く世界の人々が読むことができるというのは素晴らしいことだ。ただし、多過ぎて見つけられない、見つけにくいという状況になっているのはほとほと困る。 何が面白そうで、何がダメなのか。ぱっと見ではわからないからこそ、日々のサーベイ的な論文あさりが重要になってくる。

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