ハローキティ展に参加し、キティの本質を考えてみる
昨年、ハローキティ展なるものが、東京上野で開催されている記事を書いた。
このイベントで話題になったのが、諸外国からの転売ヤーの存在。展示会に併設される物販では、オリジナルのグッズが多数発売されているが、それらを大量に購入し、母国で転売する外国人が多数発生しているのだ。そのため、販売店数も一人30点までなど制限がつかられたり、入場制限がかかったり、チケット販売が一時停止されたりしたと聞く。
そんなハローキティ展に参加し、個人的に理解した。「キティは、白米であり、様々な食材とコラボすることで魅力的な食事を演出するそんな存在」であると。
年初めにハローキティ展に参加
このイベントに新年早々参戦してきた。1月2日の新年初めの時間枠での参加である。昨年、かなりの盛り上がりを見せたと聞くこのイベントに、長時間並んでなんとか入場というシナリオを勝手にイメージしていたが、かなりスムーズに入場することができた。
展示物は、少なすぎず多すぎず、過去のキティ関連グッズが所狭しと並ぶ中、単に展示物を見るだけではなく、参加している多様な属性の人々の観察も興味深い。日本人の他に、中国人、韓国人、欧米人など多様である。ただ性別という点では女性にかなりに偏った来場者である。男性は、どうみても同伴しているだけといった感じ。
さてこのイベントで考えた。なぜこれほどまでに特定の人々に、キティは愛されているのか。愛されているというより、固執されているのか。端から見ていて、このキャラクタになぜそこまで入…